2014年12月21日日曜日

民明書房刊「クラウドの歴史」より


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今日は皆様に我が国における、クラウドの歴史について少し紹介させてください。

おぷすたや
あゝおぷすたや
おぷすたや

この句は、江戸時代中期に詠まれたものであると伝えられている。
信越地方の藩主の嫡男が、出島で見かけた”おぷすた”なるものに心を奪われ、思わず口にしてしまったものを偶然に通りかかった魚拓職人が記録し、現代に至る。

それまでは幕府の定めた”くらうど”しか使えなかった諸藩は、このおぷすたに大変な関心を示し、皆がこぞって利用するようになった。
幕府のくらうどは、”くらうど”といいながら、利用するには専門の職人が要求書を書面で送る必要があり、実際に使えるようになるまで、1周間以上待たねばならず、時には1ヶ月以上も待たされる時もあったという。

このような状況に不満が蓄積されていた背景もあり、おぷすたは国内で爆発的に普及した。
ただ利用するだけではなく、足りない機能をみんなで開発し、いかに自分の藩が素晴らしい貢献をするかを競い合い、いつしか貢献度に応じて藩の格付けまでされるようになった。
また、当時は通信手段も乏しく、隣の藩と連絡を取るために街道の整備が急速に進み、これが後の東海道となり、日ノ本の経済を活性化させる要因ともなっていく。

しかし、この状況を面白くないと思った幕府は、禁おぷすた令を発して、諸藩のおぷすたへの取り組みを禁止した。
後の世に言う、「仮想環境憐れみの令」である。

曰く

・仮想マシンはペットのように可愛がらねばならん。
・それにオープンソースなどサポートがなくて使えない
・もし何かあったら誰が保証するんだ

というのが幕府の言い分であった。
当然、多くの人がこの考え方に反発した。中でも強硬に反発したのが大塩平蜂郎であった。大塩は元幕府の役人であったが、幕府のくらうどに対する考え方が我慢できず出奔した経緯を持つ。大塩は幕府に対して、

「1時間後に仮想環境を100台用意しろ」
「俺が寝ているときに負荷が上がったら、勝手に仮想環境を増強しろ」

などと無理難題を要求した。当然これに対応できない幕府は要求を無視するが、これに怒った大塩によって引き起こされたのが有名な「大塩平蜂郎の乱」であるのはあまりにも有名である。

この後も、幕府はなんとかおぷすたの勢力を抑えこもうとするが、一度広がったおぷすたの考え方は市場に浸透し、既に国内から一掃するのは不可能であった。幕府内にも反発する勢力が日に日に増大し、最後には幕府が折れることで、一連の騒動は幕を閉じる。

そしてその後、誰もが自由に使えるおぷすたは大いに広がり、江戸後期には様々なコンテンツビジネスがおぷすた上で展開され、江戸の住民を多いに楽しませたという。














ちなみに全部フィクションであることは言うまでもない( http://www.adventar.org/calendars/602 )